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東京高等裁判所 昭和57年(ネ)2799号 判決

控訴人(被告) 愛川義一 外二名

被控訴人(原告) 呉操 外三名

原審 東京地方昭和五四年(ワ)第一一八一七号(昭和五七年一〇月二二日判決、一四巻三号七三二頁参照)

主文

原判決中控訴人ら敗訴部分を次のとおり変更する。

控訴人愛川義一及び控訴人株式会社日本糖尿食品協会は、被控訴人らそれぞれに対し、各自金四四万三一四七円及びこれに対する昭和五三年一〇月一日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

控訴人有限会社健康守る会代理部は、被控訴人らそれぞれに対し、金五万七一八二円及びこれに対する昭和五四年六月五日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

被控訴人らのその余の請求を棄却する。

訴訟費用は、第一審及び第二審を通じこれを六分し、その一を控訴人ら、その余を被控訴人らの各負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

控訴人らは、「(一)原判決中控訴人ら敗訴の部分を取り消す。(二)被控訴人らの請求を棄却する。(三)訴訟費用は、第一審及び第二審を通じ被控訴人らの負担とする。」との判決を求め、被控訴人ら代理人は、「(一)本件控訴を棄却する。(二)控訴費用は、控訴人らの負担とする。」との判決を求めるとともに、被控訴人らの包括承継に伴い、当審においてその請求の趣旨を「(三)控訴人愛川義一(以下「控訴人愛川」という。)及び控訴人株式会社日本糖尿食品協会(以下「控訴人協会」という。)は、被控訴人らそれぞれに対し、各自金一一〇万九八一五円及びこれに対する昭和五三年一〇月一日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。(四)控訴人有限会社健康守る会代理部(以下「控訴人代理部」という。)は、被控訴人らそれぞれに対し、金一四万九四七八円及びこれに対する昭和五四年六月五日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。」と訂正し、右金員請求を超える金員請求部分については、訴えを取り下げ、右(二)ないし(四)につき仮執行の宣言を求めた。

第二当事者の主張

当事者の事実上及び法律上の主張は、次のように付加訂正するほか、原判決の事実摘示と同一であるから、これを引用する。

(被控訴人らの主張)

一  原判決の事実摘示中第二の一7(原判決七枚目裏第五行ないし八枚目第一行)を次のように改める。

7 仮に、右6(二)ないし(四)の主張が理由がないとしても、原審原告呉水は、控訴人らに対し、控訴人らが本件商標権(昭和四五年一〇月二〇日商標登録出願、同四七年一〇月二〇日出願公告、同四九年六月一日設定登録に係る登録第一〇六八一〇一号商標をいい(以下同じ。)、以下この商標を「本件登録商標」という。)を侵害したことにより、次のとおりの損害賠償請求権を取得した。

(一) 控訴人愛川及び控訴人協会は、昭和四九年六月一日から同五三年九月三〇日までの間に、原判決添付の標章目録(一)ないし(五)記載の標章(以下「控訴人標章」という。)を付した「制糖茶」という商品名の中国茶(以下「制糖茶」又は「控訴人商品」という。)を販売したものであるところ、その売上高は、原判決添付の別表(二)の売上高欄記載のとおりであつて、その合計額は金一億八五万二九七四円である。ところで、商標権の専用使用権者又は通常使用権者がその登録商標の使用に対し支払うべき使用料の率は、過去の事例及び判例等では、商品の販売価格の一パーセントないし五パーセント位が相当であるとするものが多く(甲第二八号証)、また、国有特許権の実施料算定方法によると、その基準率は、実施価値の上のものは商品の販売価格の四パーセント、中のものは三パーセント、下のものは二パーセントとされている(甲第二九号証)が、実施価値の上のものの率が用いられる場合が最も多く、かつ、右の実施料の算定は、国有特許権の特殊性にかんがみ、民間で実際に行われているものよりもかなり低い率でなされるのが通例である。以上の点を考慮すると、本件登録商標の使用に対し支払うべき使用料の率は、その商標を付した商品の販売価格の五パーセントが相当であると解される。そうすると、原審原告呉水は、控訴人愛川及び控訴人協会に対し、前述の控訴人商品の販売価格である金一億八五万二九七四円の五パーセントに相当する金五〇四万二六四八円を、自己が受けた損害の額としてその賠償を請求し得るものというべきである。また、右損害賠償請求についての弁護士費用は、東京弁護士会報酬会規による標準報酬額である着手金四九万五〇〇〇円と成功報酬金四九万五〇〇〇円との合計金九九万円である(甲第三〇号証)。したがつて、原審原告呉水は、控訴人愛川及び控訴人協会に対し、右の金五〇四万二六四八円と金九九万円との合計額である金六〇三万二六四八円の損害賠償請求権を取得した。

(二) 控訴人代理部は、昭和五三年一〇月五日から同五四年六月四日までの間に、控訴人標章を付した控訴人商品を販売したものであるところ、その売上高は、金一二四二万六〇一七円であり、また、本件登録商標の使用に対し支払うべき使用料の率は、前述のとおりその商標を付した商品の販売価格の五パーセントが相当であると解される。そうすると、原審原告呉水は、控訴人代理部に対し、右の控訴人商品の販売価格である金一二四二万六〇一七円の五パーセントに相当する金六二万一三〇〇円を、自己が受けた損害の額としてその賠償を請求し得るものというべきである。また、右損害賠償請求についての弁護士費用は、前述の報酬会規によると、金一七万四〇〇〇円である。したがつて、原審原告呉水は、控訴人代理部に対し、右の金六二万一三〇〇円と金一七万四〇〇〇円との合計額である金七九万五三〇〇円の損害賠償請求権を取得した。

二  原判決の事実摘示中第二の一7の次に次の二項を加える。

8 原審原告呉水が昭和五七年八月六日死亡したことにより、被控訴人らは、相続人として原審原告呉水の権利義務一切を承継し、昭和五八年七月一〇日、本訴損害賠償請求権を含む原審原告呉水の控訴人らに対する一切の裁判上及び裁判外の損害賠償請求権を四分の一ずつ分割して取得する旨の遺産分割協議をした。

9 よつて、被控訴人らは、相続に係る前記損害賠償金の内金として、それぞれ控訴人愛川及び控訴人協会に対し、各自金一一〇万九八一五円及びこれに対する不法行為の後である昭和五三年一〇月一日から支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による金員を、また、控訴人代理部に対し、金一四万九四七八円及びこれに対する不法行為の後である昭和五四年六月五日から支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による金員を支払うべきことを求める。

三  控訴人らの当審における後記二の主張について

1 控訴人らは、控訴人標章について先使用権を有する旨主張するが、控訴人らの右主張は、理由がない。すなわち、

(一) 控訴人協会は、昭和四六年八月二五日に設立されたものであり(甲第一〇号証の二)、また、控訴人代理部は、昭和五三年一〇月五日に設立されたものであつて(甲第一〇号証の一)、控訴人協会及び控訴人代理部は、いずれも本件登録商標の商標登録出願(以下「本件商標登録出願」という。)の日である昭和四五年一〇月二〇日の時点には存在しないのであるから、控訴人ら主張の先使用権を取得するいわれがない。

(二) 控訴人標章は、次に述べるとおり、本件商標登録出願前に控訴人愛川の商品を表示するものとして需要者の間に広く認識されていたということはない。

(イ) 秋山実也は、日本糖尿食品協会(以下「訴外協会」という。)の名称で低カロリー健康食品の製造販売業を東京都文京区本郷一丁目五番一七号三洋ビル三階で開始したが、それは、昭和四五年初めころのことである(乙第一号証)。そして、訴外協会の従業員は、同年夏ころ、松本弘子、平地望展及び杵渕歌子の三名だけであつて、控訴人愛川は、当時三木トリロー事務所に籍があり、訴外協会には単に出入りしていたにすぎない。

(ロ) 控訴人愛川は、訴外協会に全く投資しておらず、むしろ、いつも金に困つて秋山や原審原告呉水から金を借りているような状態にあつた。

(ハ) 訴外協会は、「万茶」という商標を使用して蕃石榴を原料とする茶を売り出したが、蕃石榴は原審原告呉水から購入するということで事業を始めたものであつて、万茶及び後に売り出した制糖茶の原料はすべて原審原告呉水から仕入れていた。

(ニ) 訴外協会の販売方法は、通信販売形式で宣伝費等に費用がかかり、その売上げも微々たるものであつて、その経営は、昭和四五年一〇月ころから困難になつていつた。

(ホ) 訴外協会は、昭和四五年八月ころから、「万茶」の商標の使用を止め、「制糖茶」の商標を使用するようになつたが、制糖茶の売行きは伸びず、ほとんど在庫として残つてしまい、原審原告呉水に対する仕入代金の支払もできなくなり、同年一二月、事実上倒産した。

(ヘ) その結果、原審原告呉水は、昭和四六年一月初め、秋山から本件商標登録出願により生じた権利を含む訴外協会の営業権を譲り受けた。

(ト) このように、「制糖茶」の商標の使用が開始されたのは、本件商標登録出願の日の二か月前からであり、しかも、制糖茶もほとんど売れないままに、訴外協会は、四か月足らずで倒産したものであつて、控訴人標章が本件商標登録出願前に控訴人愛川の商品を表示するものとして広く認識されていたなどというのは、全くの作り事でしかない。

(チ) 控訴人愛川自身も、控訴人商品の販売開始時期については多少異なる主張をしているものの、控訴人商品が売れなかつたことは認めていたものであつて、そのことは、本訴を本案とする仮処分申請事件の準備書面において、「ところが右「制糖茶」は当時売上げが思うように延びず、包装用箱等の製作代金はもちろん、事務所資料、給料も思うにまかせない状態が継続し、昭和四五年一二月頃には右秋山も資金的に行き詰まり」と主張していたこと(甲第二一号証)からも明らかである。

(リ) なお、原審原告呉水は、訴外協会の代表者として、昭和四六年一月から何とか営業を継続してきたが、控訴人愛川が訴外協会の商品を持ち出したり、取引先である汐留フアーマシーの手形を持逃げしたりするなど目に余る行為に及ぶので、控訴人愛川を厳しく叱責したところ、控訴人愛川は、同年五月二七日、約五、六名の者を引き連れて訴外協会の事務所を訪れ、「今日からおれが社長をやることになつたから出て行け。事務所の鍵も判こも全部返せ。嫌なら日本刀でも持つてきてやろうか。」などと大声を張り上げ、机をたたいて、原審原告呉水を脅迫して追い出してしまい、その後訴外協会の社長に納まつてしまつたものである。

2 控訴人らは、原審原告呉水が勝手に本件商標登録出願の出願人名義を原審原告呉水に変更した旨主張するが、原審原告呉水は、正当に商標登録出願により生じた権利を取得したものである(甲第二三号証の一ないし一二)。

(控訴人らの主張)

一  原判決の事実摘示中第二の二5(原判決八枚目裏第六行)の次に次の二項を加える。

6 同7(一)及び(二)は、否認する。

7 同8は、認める。

二  当審において追加した予備的主張

1 仮に、控訴人らの控訴人標章を付した控訴人商品を販売する行為が、本件登録商標に係る指定商品又はこれに類似する商品について本件登録商標に類似する商標を使用するものであるとしても、控訴人らは、控訴人標章について先使用権を有する。すなわち、

(一) 控訴人愛川は、昭和三九年ころから、糖尿病に関する漢方薬の研究を始め、同年、中国に渡航して控訴人商品の原料である蕃石榴の調査をし、昭和四〇年、これを輸入し、その果実を裁断して缶詰にし、これを「蕃石榴」という名称の煎じ物として販売した。この「蕃石榴」は、昭和四一年ころ、週刊誌及び読売新聞等で紹介され、通信販売によつてこれを購入する同好会員の数も五〇〇名を上回る状態となつた。

(二) 控訴人愛川は、昭和四一年から同四二年にかけて、蕃石榴について多数の知名人を主体にした臨床的実験を重ね、また、日本大学薬理学研究室の寺田文治郎医学博士に依頼して蕃石榴の商品化に関する開発研究を進め、更に、昭和四三年、三木トリローグループとともに株式会社糖尿食品センターを設立してその代表者となるとともに、全国的会員組織である「糖尿友の会」を発足させた。次いで、控訴人愛川は、昭和四三年から同四四年暮までの間に、「蕃石榴」という名称を「万茶」という名称に変更したうえ、右組織を土台としてその販路を拡大していつたところ、これが週刊ポスト創刊号及び夕刊フジ創刊号で報道されるというようなこともあつて、救心商事株式会社との間において同会社を総販売代理店とする「万茶」の一括販売契約を結び、「万茶」は、高島屋、松坂屋、三越本支店、大丸、西武、阪急及び近鉄等のデパート並びに厚生省、大蔵省及び健康保険連合会等で販売される状態となつた。

(三) 秋山実也は、昭和四四年八月ころ、右週刊ポストの報道記事を読んでハワイから来日し、控訴人愛川の事業に賛同して「糖尿友の会」のハワイ支部を結成し、次いで、昭和四五年初めころ、控訴人愛川に対し、三木トリローグループとは別に、新規に蕃石榴による糖尿食品及び各種漢方食品の事業を共同して開設運営したい旨懇請した。控訴人愛川は、秋山の右提案に同意し、秋山と共同で事業を運営することとし、「日本糖尿食品協会」という商号の会社を設立する準備を始めるとともに、昭和四五年一月ころ、友人の重松富生に対し、従前の「万茶」という商品をイメージアップするためのネーミング、その字体及び図案の作成を依頼したところ、重松は、同年二月、本件商標登録の対象とされた「制糖」の文字と「小用している子供及びその左横にはつている蟻を図案化した図形」を考案作成した。

(四) 本件商標登録出願の日前後の控訴人標章を付した控訴人商品の販売実績は、次のとおりである。

(イ) 控訴人らは、昭和四五年三月ころ、万茶の販売組織である「糖尿友の会」を控訴人標章を付した制糖茶の販売組織に切り換えた。

(ロ) 控訴人らは、そのころ、新宿の二幸の食品売場で制糖茶の委託販売を始めた。

(ハ) 控訴人らは、昭和四五年四月、東京都渋谷区神南町通りに約一〇坪の販売店を設け、制糖茶及び各種漢方食品の販売を始めた。なお、控訴人らは、そのころ、「糖尿友の会」を発展的に解消して「健康守る会」とした。

(ニ) 控訴人らは、昭和四五年六月、制糖茶の原料である蕃石榴を顆粒状にした新規な制糖茶の制造を計画し、東京都世田谷保健所の許可のもとに、東京都世田谷区若林四丁目三〇番四号の寿高麗人参株式会社にその製造を依頼した。

(ホ) 控訴人らは、そのころ、大相撲の高見山に対し、制糖茶の宣伝ポスターのモデルになることを依頼した。高見山が制糖茶を手にしている白黒のポスターが昭和四五年八月に完成し、控訴人らは、そのころ、これを制糖茶の販売先や関係筋に配布した。

(ヘ) 控訴人らは、昭和四五年九月、同年一一月三〇日を締切日とする先着一万名に対する制糖茶の試飲サービスを実施するとともに、右試飲サービスの案内及び制糖茶のパンフレツトを配布した。

(ト) 控訴人らが昭和四五年八月ころに依頼した高見山をモデルにした新聞広告用の写真が同年一〇月に完成し、控訴人らは、昭和四六年一一月一日付「HAWAII HOCHI」(ハワイ報知)新聞に右写真を配した一頁大の制糖茶の広告を掲載した。

(チ) 控訴人らは、昭和四五年一〇月、作家の玉川一郎に対し、控訴人愛川の次男である愛川修司(当時小学校二年)を肩車にした制糖茶の宣伝カラーポスターのモデルになることを委嘱した。右ポスターが同年一二月に完成し、控訴人らは、そのころ、これを制糖茶の販売先に配布し、また、制糖茶の通信販売の際に、これを健康守る会の会員に配布したりした。更に、控訴人らは、昭和四六年二月ころ、得意先に対し、右ポスターの白黒のものを配布した。

(リ) 控訴人らは、昭和四五年一〇月二〇日、共同で訴外協会を経営していた秋山名義で本件商標登録出願をした。控訴人愛川名義で本件商標登録出願をしなかつたのは、控訴人愛川が当時まだ三木トリローグループに所属し、前述の株式会社糖尿食品センターから手を引いていなかつたため、諸般の事情を考慮して、便宜上秋山名義で商標登録出願をさせたという事情によるものである。

(ヌ) 控訴人らは、昭和四六年二月から三月にかけて、制糖茶の店頭カラーポスターを各薬局に配布した。

(ル) 控訴人らは、昭和四五年一二月、制糖茶のちらしを得意先に配布したが、そのちらしには、制糖茶の愛好者として、石井光次郎ら約四五名の知名人の氏名を掲載した。

(ヲ) 控訴人らは、昭和四六年二月、制糖茶のちらしを配布したが、そのちらしには、制糖茶の愛好者として、東京ガス社長安西浩ら一一八名の著名人の氏名を掲載した。

(ワ) 控訴人らは、昭和四五年一〇月ころまで、毎月数一〇〇個(七〇〇件ないし八〇〇件位)の制糖茶の発注を受け、その生産に間に合わない状態にあつた。

2 原審原告呉水は、次のような経緯で本件商標登録出願の出願人の名義変更をしたものであつて、商標登録出願により生じた権利を有効に承継したものではない。

(一) 秋山は、前述のとおり、控訴人愛川と共同で訴外協会の名称で制糖茶の製造販売業を営んでいたが、昭和四五年一一月、個人名義の手形の不渡を出して右事業から手を引かざるを得ない羽目に立ち至つた。右秋山の倒産直前、控訴人愛川と原審原告呉水とは、原審原告呉水が蕃石榴の原料を買つてくれないかといつて控訴人愛川を訪れたことから知り合うようになり、原審原告呉水は、右秋山の倒産に際し、訴外協会の負債を肩代りして秋山の代わりに訴外協会の事業に参加し、その代表者に就任することとなつた。

(二) しかし、原審原告呉水は、訴外協会の事務所に来たり来なかつたりで仕事らしいことを何もしないうちに、昭和四六年五月二七日、債権者会議を開催したが、実際には秋山の債務をただの一円も肩代りすることなく、同月三〇日、事務所から、付器備品、煎じ用及びエキス用の制糖茶合計四一二三個分、茶箱、茶缶等のほか、控訴人愛川個人の書類一式、健康守る会事務局の書類一式、社判及びパンフレツト一万枚など一切合財を無断で持ち出して運び去つた。

(三) 控訴人らは、原審原告呉水に対し、運び去つたものの返還を請求し、また、告訴の手続まで準備したものの、その間、控訴人愛川は、事業の再建及び継続中の仕事に追われて、制糖茶及び漢方新製品の開発、販売の推進及び拡大の作業などに懸命に従事していたところ、原審原告呉水は、控訴人らが知らないうちに、秋山の印鑑を勝手に持ち出し、これを使用して本件商標登録出願の出題人の名義を原審原告呉水に変更したうえ、控訴人らの制糖茶の売行きが増大するのを見て、その販路を横取りしようとして本訴を提起したものである。なお、原審原告呉水は、訴外協会の事務所から持ち出した玉川一郎のポスターや著名人の氏名を掲載したちらしを勝手に盗用して自己の制糖茶の宣伝に使用した。

3 以上のとおりであつて、控訴人標章は、本件商標登録出願の日である昭和四五年一〇月二〇日以前において、控訴人愛川が重松に依頼して作成した名称、字体及び図案からなるものであつて、本件商標登録出願の際には、既に訴外協会の販売する商品を表示するものとして需要者の間に広く認識されていたものであるから、控訴人らは、控訴人標章について商標法第三二条所定の先使用権を有するものであり、また、原審原告呉水の本件商標登録出願の名義変更の経緯は、前述のとおりであるから、被控訴人らの本訴における主張は、全く失当である。

第三証拠関係〈省略〉

理由

一  本件についての当裁判所の判断は、次のように訂正するほか、原判決の理由と同一であるから、これを引用する。

1  控訴人らの当審における先使用権の主張について

控訴人らは、本件商標登録出願の際には、控訴人標章は既に訴外協会の販売する商品を表示するものとして需要者の間に広く認識されていたものであるから、控訴人標章について先使用権を有する旨主張するので、審案するに、成立に争いのない甲第一〇号証の一及び二によれば、控訴人協会は昭和四六年八月二五日に設立されたものであり、また、控訴人代理部は昭和五三年一〇月五日に設立されたものであることが認められ、右認定の事実によると、控訴人協会及び控訴人代理部は、いずれも、当事者間に争いのない本件商標登録出願の日である昭和四五年一〇月二〇日の時点では未だ設立されていなかつたのであるから、控訴人協会及び控訴人代理部自体が本件商標登録出願前から控訴人標章の使用をしていた結果として控訴人標章について先使用権を取得するということはあり得ないものというべきところ、訴外協会が本件商標登録出願前の昭和四五年中に業務を開始していたことは、本件弁論の全趣旨に徴し、明らかであるけれども、訴外協会が本件商標登録出願前から控訴人標章の使用をしていた結果として控訴人標章が訴外協会の販売する商品を表示するものとして需要者の間に広く認識され、しかも、訴外協会の右業務を控訴人協会及び控訴人代理部が承継したとの事実を認めるのに足りる証拠はない。また、訴外協会の控訴人標章の使用が控訴人愛川の控訴人標章の使用を意味するものとして行われ、その結果、控訴人標章が控訴人愛川の販売する商品を表示するものとして需要者の間に広く認識されていたとの事実はもとより、訴外協会の業務を控訴人愛川が承継したとの事実を認めるに足りる証拠もない。この点に関して、控訴人らは、本件商標登録出願前の控訴人標章の使用状況として、昭和四五年三月ころ、控訴人標章を付した制糖茶の販売を始め、また、同年八月ころ、高見山が制糖茶を手にしている白黒ポスターを制糖茶の販売先や関係筋に配布し、更に、同年九月から、制糖茶の試飲サービスを実施するとともに、右試飲サービスの案内及び制糖茶のパンフレツトを配布し、更にまた、同年一〇月ころまで、毎月数一〇〇個の制糖茶の発注を受け、その生産に間に合わない状態にあつた旨主張するが、制糖茶の販売先の範囲及び販売量並びに白黒ポスター、試飲サービスの案内、制糖茶のパンフレツトの配布先の範囲及び配布数などについての立証がないから、たとい、本件商標登録出願前の控訴人標章の使用状況が控訴人らの右主張のとおりであるとしても、その主張事実から直ちに控訴人標章が訴外協会の販売する商品を表示するものとして需要者の間に広く認識されていたものと認めることは困難であり、かえつて、成立に争いのない甲第八号証及び第二一号証によれば、控訴人愛川及び控訴人協会は、本訴を本案とする仮処分申請事件において、昭和四五年五月末ころに「制糖茶」の標章を創作し、その後、右標章を付した控訴人商品の販売を始めたが、当時売上げは思うように伸びず、包装用箱等の製作代金の支払はもちろん、事務所の賃料及び従業員の給料の支払も思うに任せない状態が継続し、同年一二月ころには秋山も資金的に行き詰まつた旨主張していることが認められ、右認定の事実によると、本件商標登録出願前の控訴人標章を付した控訴人商品の販売によつて控訴人標章が訴外協会の販売する商品を表示するものとして需要者の間に広く認識されていたものとは認められない。以上のとおりであるから、控訴人らの先使用権の主張は、理由がないものといわざるを得ない。

2  控訴人らの当審における原審原告呉水の商標登録出願により生じた権利の承継に関する主張について

控訴人らは、原審原告呉水は、本件商標権に係る商標登録を受けるについて商標登録出願により生じた権利を有効に承継したものではない旨主張するが、商標登録がその商標登録出願により生じた権利を承継しない者の商標登録出願に対してされたものであるときは、商標登録の無効理由とされている(商標法第四六条第一項第三号)から、控訴人らは、これを理由として本件商標権に係る商標登録について無効審判の請求をし右商標登録を無効とする確定審決を得ない以上、本件商標権の行使を妨げることはできないものというほかはない。したがつて、控訴人らの右主張は、採用することができない。

3  原判決理由三2(三)中「約九二ないし九八パーセント」(原判決一五枚目表第二行ないし第三行(編注、一四巻三号七四一頁五行目))を「昭和五一年三月の決算期において八四・三七パーセント、同五一年四月から同五三年九月までの各決算期において九三・一八パーセントないし九八・二五パーセント」に、「少く」(同枚目表第五行(同上、七四一頁六行目))を「少なく」に改め、同三2(七)中「約二五パーセント」(同枚目裏第八行ないし第九行(同上、七四一頁一六行目))を「少なくとも二五パーセント」に改め、原判決添付の別表(四)を本判決添付の別表(四)に改める。

4  原判決の理由三3中「少く」(原判決一六枚目表第九行(同上、七四二頁五行目から六行目にかけて)、同枚目裏第三行(同上、七四二頁八行目)、第五行(同上、七四二頁九行目)及び第七行(同上、七四二頁一〇行目))を「少なく」に、「約四五・六パーセントであり」(同枚目裏第二行(同上、七四二頁七行目))を「四五・五パーセントを下らないものであり」に、「八〇七八万五二〇〇円」(同枚目裏第六行(同上、七四二頁九行目から一〇行目にかけて))を「八〇六二万九四五六円」に、「二〇一九万六三〇〇円」(同枚目裏第八行(同上、七四二頁一〇行目))を「二〇一五万七三六四円」に改める。

5  原判決の理由三4(八)中、第二文(原判決一八枚目裏第一行ないし第四行(同上、七四三頁一四行目から一五行目まで))を次のように改める。

しかしながら、右認定の事実及び前認定の控訴人商品を製造販売して得た利益額等を総合考慮するも、控訴人愛川及び控訴人協会が共同して控訴人商品を製造販売して得た利益中、控訴人商品に控訴人標章を使用したことと因果関係のある利益額を算定することは困難であり、他にこれを認めるに足りる証拠はない。してみると、控訴人愛川及び控訴人協会が控訴人商品を製造販売して得た利益に基づく被控訴人らの損害の額の主張は、採用するに由ないものといわざるを得ない。

6  原判決の理由三5(原判決一八枚目裏五行ないし第九行)を次のように改める。

5 そこで、被控訴人らの損害額に関する予備的主張について判断するに、成立に争いのない甲第二八号証によれば、商標の使用料率は、従来の事例では、商品の販売価格の一パーセントから五パーセントまでの間であり、この中でも二パーセントないし三パーセントが最も多いことが認められ(他に右認定を覆すに足りの証拠はない。)、右認定の事実に控訴人標章を付した控訴人商品の販売状況等に関する前認定の事実を総合すると、特に、本件登録商標の使用価値が高いものであること、又は逆に低いものであることをうかがわせるに足りる事情の存しない本件にあつては、本件登録商標の使用料の率は、少なくとも商品の販売価格の二パーセントを下らないものと認めるのが相当である。そうすると、原審原告呉水は、控訴人愛川及び控訴人協会が控訴人標章を使用して控訴人商品を販売したことにより、前認定の売上高金八〇六二万九四五六円の二パーセントに当たる金一六一万二五八九円相当の損害を受けたものと認めることができる。

7  原判決の理由四の第一文中「、したがつて」から「同様であること」まで(原判決一九枚目表第六行ないし第九行(同上、七四四頁四行目から六行目にかけて))及び第三文(同枚目裏第六行ないし第八行(同上、七四四頁一一行目から一二行目まで))を削り、第二文(同枚目表末行ないし同枚目裏第五行(同上、七四四頁七行目から一〇行目まで))を次のように改める。

右認定の事実によれば、控訴人代理部による昭和五三年一〇月五日から昭和五四年六月四日までの八か月間の売上高は、少なくとも金九九三万六四四六円であるから、原審原告呉水は、控訴人代理部が控訴人標章を使用して控訴人商品を販売したことにより、右売上高の二パーセントに当たる金一九万八七二八円相当の損害を受けたものと認めることができる。

8  原判決の理由五中「四〇万円」(原判決二〇枚目表第五行(同上、七四四頁一六行目))を「一六万円」に、「一〇万」(原判決二〇枚目表第五行(同上、七四四頁一七行目))を「三万円」に改める。

9  原判決の理由六及び七(原判決二〇枚目表第八行ないし二一枚目表第一行)を次のように改める。

六 以上のとおりであるから、原審原告呉水は、控訴人愛川及び控訴人協会に対し、不真正連帯の関係で、前記三5の金一六一万二五八九円及び前記五の金一六万円の合計金一七七万二五八九円、控訴人代理部に対し、前記四の金一九万八七二八円及び前記五の金三万円の合計金二二万八七二八円の損害賠償請求権を取得したものというべきである。そして、原審原告呉水が昭和五七年八月六日死亡したことにより、被控訴人らは、相続人として原審原告呉水の権利義務一切を承継し、昭和五八年七月一〇日、本訴損害賠償請求権を含む原審原告呉水の控訴人らに対する一切の裁判上及び裁判外の損害賠償請求権を各四分の一ずつ分割して取得する旨の遺産分割協議をしたことは、当事者間に争いがないから、被控訴人とは、原審原告呉水の控訴人らに対する右損害賠償請求権の四分の一ずつを分割取得したものというべきである。

七 よつて、被控訴人らの本訴請求は、控訴人愛川及び控訴人協会に対し、各自金四四万三一四七円及びこれに対する不法行為の後である昭和五三年一〇月一日から支払済みに充るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を、また、控訴人代理部に対し、金五万七一八二円及びこれに対する不法行為の後である昭和五四年六月五日から支払済みに至るまで同割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるので、これを認容し、その余は失当として棄却すべきである。

二  以上のとおりであるから、控訴人らの本件控訴は一部理由があるので、民事訴訟法第三八六条の規定を適用して原判決の一部を変更することとし、訴訟費用の負担について同法第九六条、第九二条本文及び第九三条第一項本文を適用し、なお、仮執行の宣言は、原判決中被控訴人ら勝訴部分で当審において変更を受けない金員の支払部分については原審で付せられた無担保の仮執行の宣言が存続するゆえ、付する必要がなく、また訴訟費用については付する必要を認めないから、これを付さないこととし、主文のとおり判決する。

(裁判官 武居二郎 高山晨 清永利亮)

別表(四)〈省略〉

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